くまモンとかを作った good design company の 水野学さんの本。町田さんが読んでると聞いて読んでみた。
メモ
- センスとは数値化できない物事の良し悪しを判断し、最適化する能力である
- センスは持って生まれるものではない、ひらめきの能力ではない、細かな知識の集積である
- センスを磨くにはまず普通を知ること。普通がわかると偏ったものも作れるようになる。
- センスが選ばれた人にだけあると誤解されがちなのは、学校の美術の授業の実技偏重に一因がある。
- 美術の授業も美術作品の歴史を体系的に学べる学科を重視すべき
- 技術の時代と美的センスの時代は交互にやってくる
- 技術は未来を見すえているが、美的センスはどちらかというと過去(ノスタルジー)に根ざしている
- 完全に新しい見たこともないものを人はなかなか美しいと思うことができない
- 技術は未来を見すえているが、美的センスはどちらかというと過去(ノスタルジー)に根ざしている
- これからはセンスがますます重視される時代になる
- なんとなくフィーリングで選んでいるように見えても、センスが良いチョイスは必ず理由を言語化できる
- センスを磨くには、好きかどうかで選ぶのではなく客観性を身につける
- 売れるものには「シズル」がある
- シズルとは「そのものらしさ」だと定義付けている
- シズルには賞味期限がある
- いいものを作るには精度のよい仕事が必要
- 知識 + 精度
- 「感覚的に」は禁句。自分の感覚を信用するな。この感覚はどこからやってきているんだろう?という確認作業を行う
- 知識をつける順番: ①王道を知る、②流行を知る、③共通項や一定のルールを探す
- 売れているものの定形パターン、法則を見つけ出す
- 売れているショップの内装の法則の例: 「床の色が暗い」
- 日本人は清潔なので、明るい白っぽい床だと土足で踏み込むのを躊躇して入りづらい説(なるほど~)
- 売れているショップの内装の法則の例: 「床の色が暗い」
- 見たこともないものを見たり、食べたことないものを食べたり、行ったことないところに行ったりせよ。いつもの自分と違うことをやる。いつもと違う人と話す。それがセンスを育てる。
- 年上の人を誘えるか誘えないかは、センスのありなしを試すテストのようなもの
- 緊張する、色々気を使う、けど得られるものも大きい。
- 話を聞く能力の重要性
感想
結構耳が痛い。
知識…あるかなあ……あんまりない方かなあ…、自分なんでデザイナーできてるんだろう、もしかしたらできているつもりになってただけなのでは、センスないのでは…、やーないかもしれん、ないかも、ないわ。はー、すみません…すみません。
…という自分の知識不足に嘆くのはさておき、、知識を集めるにしても、センスを良くするタイプの知識のつけ方と、そうでもない集め方があるのかもなあと読んでて思った。肝になるのはおそらく「客観性」なのだろうと思う。
自分の好き嫌いは少し脇においといて、データ収集、ネタ収集として集める能力。作品鑑賞や批評ともちょっと違った見方であると思う。自分が主役にならないこと、対象に対して強く興味は持つんだけどちょっと距離を持って眺める能力が要るのかもなあと思った。これは自分の実感とも近くて面白い。
デザインは必ず理由を言語化できるというのも同意できるのだけど、同時に自分は自分のデザインの根拠をドヤ顔で語るのが野暮でカッコ悪い行為に思えるので、あまりやりたくないのだった。
デザインの理由はいちいちあるし全部言えるけど、言うと長いし、言い訳とか自己正当化っぽくなるじゃん。そんな裏方の話より、そんなこと気にせずユーザーが満足して使ってくれることの方が大事だし、そういう空気のような存在になれることこそいいデザインじゃん、みたいな気持ちがあった、というか今でもすごくある。(こういうのいちいち説明するのにリソース食われたくないから自分のプロダクト作って、成果物でものを言いたいみたいなところもある。)
しかし、こういうデザインプロセスの言語化って、世間に語るとえらくウケがよいのですよね。自分では全然面白いと思わないんですが、みんなはすごく面白がって聞いてくれる。そういうのが求められてる時代なんだなと思う。
みんなプロセスを知りたいし思考に参加したい。デザインがユニバーサルになっていってるということだと思うし、大局的にはすごくいいことだと思う。
(正直めんどいけど)もう少し言語化やアウトプットをしていこうと思った次第でした。
あと勉強しよう。いつもやらないことを意識的にやっていくのよさそう。
ジムでジョギングしながらさらっと読めてよかった。
あーあと、技術は未来に、美的センスは過去に(ノスタルジー)に根付いてるという説もなるほどだなーと感動した。確かにだな〜。